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□■ シリーズ第2回目 ■□
【蒲郡市立 西浦小学校 6年 鈴木康祐君からの質問 】
学校の夏休みの、自由課題にしようと思ってるのですが、
蒲郡は、繊維産業が盛んだと母から聞きました。
どんな様子だったのか、教えてください。

鈴木君、まずはご質問ありがとうございます。
鈴木君が生まれて育った、この蒲郡にも様々な産業文化があります。
おっしゃると通り、蒲郡は繊維の町とも言えます。今回は、「繊維の町 蒲郡」をひも解いていきましょう。
前回のQ&Aにも出てきたように、799年に、幡豆郡の天竺村に流れ着いたコンロン人に綿栽培の方法を教えてもらったのがきっかけで、布を織ることが始まりました。
始まりは農家の副業でしたが、商品化されるようになり、明治時代になると工場を建てて本格的に織物業が始まりました。
それから織物業はますます盛んになっていき、大正時代の終わり頃に、和服から洋服へ急激に変わっていったので児服地はますます売れ、昭和7年(1932)には、木綿の織込児服縞の生産高は全国第1位になりました。
大平洋戦争のため一時ほとんど休止状態になりましたが、戦後の衣料不足の影響で綿布は高値でとぶように売れていきました。昭和23年(1948)からのこの時代のことを「ガチャマン景気」(ガチャンと織れば1万円もうかる)といい、この地方は「ガチャンの町」として全国的に有名になりました。
そして近年では、昭和57年(1982)に香港で「ミカワテキスタイルフェアin香港」を開催し、(以降各国都市で開催)昭和59年(1984)〜63年(1888)まで東京原宿で「ミカワテキスタイルフェアin原宿」を開催、平成5年(1993)には、千葉幕張メッセで行われた「ジャパンテックス」に参加するなどして、三河地方の繊維産業をアピールしてきました。
このようにして、三河織物産地は伝統を守りつつも、現在でも積極的に産業活動をしています。
当ホームページの「知る」の目次の中には、この繊維産地を様々な角度からご紹介しています。そちらも、ご覧になる事をお勧めしたいと思います。