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【1888年】
 明治21年(1888)東海道線の開通によって、三河縞の東方進出は一層活発になり、明治24、25年(1891、1892)頃、三谷町の水野六三郎氏は駿河路より鰍沢に出て甲府附近にいたる販路を開いたと言われています。
 明治27、28年(1894、1895)頃、当時信州方面に塩魚を売りこんでいた方原村(現蒲郡市形原町)の小林平次郎氏は飯田、伊奈附近の呉服商に頼まれて三河縞の周旋を行ったことがきっかけで松本長野などまでに進出して、ついには綿布行商に転向しました。
明治28年(1895)小田角三郎氏は、上州方面に新しい販路を開拓しました。初めは、甲州路より東京に出ましたが、東京の店では相手にされなかったので、高崎の金富呉服店を訪問しました。この時、たまたまこの地域の得意先に深く喰いこんでいた尾州佐織縞が、染色粗悪化のために信用を失っていた時でした。
 そこに三河縞が地藍染堅牢染色であるというところから、意外の売行きがありました。さらに進んで、前橋、宇都宮に回ったところ、最初にしては予想外の商談を見、それから上州方面は上得意となったと言われています。
 このような情勢から関東方面への需要は増え続け、明治28年(1896)頃からは牛久保(現豊川市)の山田慶助氏、陶山忠七氏等も盛んに東京との取引を行いました。その頃、蒲郡町で「黒甚」といわれた内田甚四郎氏は、主として東京向け白木綿を販売したと言われています。

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●三河縞【みかわじま】三河地方で織られた2色以上の色糸を配した縞柄の木綿地。藍染めによる濃い紺色を主体とし、他の産地のものに比べて細かい縞が特徴。
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●尾州佐織縞【びしゅうさおりじま】愛知県西部の海部郡佐織町付近で織られていた縞木綿。
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●地藍染【じあいぞめ】------
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●堅牢染色【けんろうせんしょく】染色した糸や織物は光、汗、洗濯などの作用を受け色が変化する。これらの作用にあっても耐久力のある安定した染め方をいう。
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