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  糸にはそれぞれ癖がある。
癖のある糸を何本か組み合わせて一つの新しい糸に仕上げる。
そこが難しくて、面白いところ。
まだまだ勉強です。
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* 第 7 回 *
「手織り工房 太一」の
石川太一さん


 蒲郡市は、古くから織物のまちとして栄えてきました。特に戦後の一時期の織物産業は、「ガチャマン景気」とも言われ、絶頂期にありました。

 その頃石川さんは学校を卒業し、当然のことのように市内の織物工場へ修行に出ました。昭和25年、15歳の時です。

 当時のこの地域の若者は起業家意識が強くて、石川さんも10年程の修行を経て念願の織物工場を持つことができました。まさに順風満帆、生来の研究熱心さと負けん気で、誰にも負けない技術を持つ機屋(はたや⇒この地域では、織物工場のことを機屋といいます。)になっていきました。

 しかし残念ながら、石川さんの頑張りとは反対に、日本の織物産業は年々活力を失ってきました。特に、昭和40年代後半に起きたオイルショックを契機に、仕事はみるみる減っていきました。機屋では中国に勝てない。平成9年、やむなく撚糸業へ転業。ここでも中国との競争には勝てず、仕事はみるみる減っていきました。

 さあどうするか、研究熱心な石川さんは考えました。行き着いたのは「手織り文化の普及」。機屋の余った糸で手織り用の糸を作る。これなら中国に勝てる。自らも手織織機を購入して、手織りに向く糸の開発が始まりました。試作品を持って、全国あちこちの手織教室を廻って試してもらいました。同時に、熱心に手織教室の人たちの希望を聞いて廻りました。思考錯誤の末、やっと思うような糸、お客さんが望む糸が作れるようになったとのことです。

 石川さんは言います「糸にはそれぞれ癖がある。癖のある糸を何本か組み合わせて一つの新しい糸に仕上げる。そこが難しくて、面白いところ。まだまだ勉強です。」

 石川さんには、夢があります。もう一度機屋に戻ることです。「最後は機屋で終りたい。お客さんが望む織物をお客さんと一緒に織り上げる、そんな仕事をしたい。」石川さんは、目を輝かせて言いきりました。